とっても小さい頃、欲しくて欲しくて仕方なかった消しゴム「こっそりポケットに入れて持って来ちゃった…だって欲しかったから…」
そんな記憶は、大な小なり多くの人が持っているものではないでしょうか。私も幼稚園児の頃、チョコレートをお店から持ってきたのを母親に見つかり、こっぴどく叱られたのちに店員さんに謝りに行った記憶があります。
「悪いこと」というのは、やってはいけないという社会倫理とともに、ある一部の人々を魅了するような一面もあります。
しかし、そういった「可愛らしい出来心」やら「ちょっとしたイタズラ」で許されるのは子供の頃だけ。大人になってから万引きをすれば、当たり前ですがタダでは済みません。高校生にもなれば、もう大人と言っていいでしょう。
「普通」は、それが悪いことだと理解しているので実行に移すことは少ないのですが、「悪さ」に魅了されたまま大人になってしまった、というケースも珍しくはないようで……。
「悪さ」は身近にあるモノ。

誰かの陰口を叩く、学校や仕事をズル休みする、シャレにならないもの、つまり法に抵触するような「悪さ」も様々。万引きをすれば、それが20円のチョコでも立派な窃盗罪です。「悪さ」というものの種類は多岐に渡るわけですが、成長し、大人になればなるほど「悪知恵」なんてものも身についてしまいます。
一見とても小さなことに思えますが、ファミレスでドリンクバーを使いながらも「水しか飲んでない」と言い張り、その分の代金を払わない、等々。
その他、身近にある違法行為というと、学生の喫煙や飲酒、無免許運転などが浮かびます。でも、そういう悪さをこっそり一人で楽しんでいる、というケースは何故か少ない……。では、それは何故だろう? と考えたとき「一人でやっていても楽しくないから」という結論に至ります。
それが悪さでなく、カラオケや食事、趣味に関することなどでも、一人よりも誰かと一緒に楽しんだ方が盛り上がります。つまり、誰かの悪口を言うのも、学生時代に煙草を吸ったりするのも、仲間がいた方が楽しいのです。
しかし大多数の大人は、倫理や常識というラインを超えてはいけないことを本能的に分かっています。これは”不倫”という名の「悪さ」が露呈したときの社会的制裁の厳しさを考えてみれば明らかですよね。生理的に「悪さ」というものに対しての嫌悪感を持つのが普通であり、悪いことをしたなら当然、それなりの罰を受けるものだと考えています。
「やましさの自覚」が、集団になると

しかし、とても仲がよく、普段から親しくしている友人が「悪さ」に抵抗のない場合はどうでしょうか。学生時代には友人がたくさんいたけれど、大人になるにつれてそれぞれの生活スタイルや仕事の都合、既婚と独身の違いや子供の有無、様々な理由で「親しい友人」というのは減って行くものです。そんな中で、とても親しくしている貴重な友人に「悪さ」を一緒にやろうよ、と持ちかけられたとしたら?
頭では「いけないことだ」「何言ってるの?」と考えるでしょう。しかしその「悪さ」が法に抵触する程度のものではなく「バレなければ大丈夫」「みんなやってるよ」と何度も誘われ続けたとしたら、断れないという人も多く存在するのです。社会倫理よりも「友人を失いたくない」という気持ちが勝ってしまうこともある……。
しかし、そういった不穏なお誘いをかけてくる人は、大抵の場合「やましいことをしている自覚」があるんです。だからこそ仲間を欲しがり、周りに同じことをする人間を増やすことで、自分の中の「やましさ」を薄れさせていくというわけです。
まさに『赤信号、みんなで渡れば怖くない』の心理状態ですね。例えば、集団になった途端、数人の友人が誰かの悪口を言い出した場合なども同様に「ここで反論したら、自分だけ浮いてしまうのでは……」という不安がよぎり、一緒になって悪口大会に参加してしまう。そういう経験が全くない人の方が珍しいのではないでしょうか。
ネガティブな「集団心理」に惑わされない

先に記述したように、人は集団になればなるほど「個」である意識が薄くなり、しかもそれが悪いことだと、尚更「自分だけではないんだ」という、妙な安心感を抱いてしまいます。
本来、集団やチームというのはポジティブなもの。みんなで協力し、みんなで話し合い、みんなで楽しく過ごす。みんなで前へ進む。「みんなやっている」という軽い気持ちで「悪さ」に付き合ってしまうのは、大人であればあるほど、家庭があるなら尚更ですが、自分だけの問題ではないということをしっかり考えることが大切です。
大切な家族、大切な恋人。なくしたくない環境。穏やかな日々。ちょっとした出来心で、そういった「平凡で幸せな日常」が失われてしまう可能性があることを忘れてはいけませんよね。バレようがバレまいが、悪いことは悪いこと。それは大人であれば、子供に教えるべき重大なルールのひとつです。
相手とどんなに親しい仲であっても、その縁が切れてしまうことを恐れずに「人としてのプライド」を守って生きていくことが一番重要なのではないでしょうか。やましい人に誘われて、仲間になることはありません。
あなたが清廉潔白に、真面目に生きている限り、必ず他の友人ができるはずなのですから。叩いても一切ホコリの出ない人生というのもなかなか難しいですが、少なくとも、常に後ろめたさと隣り合わせているような人生ではなく、毎日心から笑っていられる、穏やかで健全な日々を送りたいものですね!